中部ブロック代表:愛知高等学校
「文七元結」 三遊亭圓朝作 愛知高校演劇部潤色  出典「志ん朝の落語2」筑摩書房





(あらすじ)
 長兵衛は腕の良い左官職人だが博打にはまってしまう。負けが込んで借金を重ね、商売道具さえも質 に入れてしまう有様。年の瀬もせまったある日、長兵衛が家に帰ると娘のお久がいなくなっており・・・

(作品紹介・みどころ)
 「文七元結」は三遊亭圓朝が手掛けた人情噺の大作で、名人と呼ばれた落語家たちが得意とした噺です。そんな噺を舞台化するということは、覚悟していたとはいえ想像以上に難しい挑戦でした。何度もくじけそうになりましたが、試行錯誤を繰り返し、色々な人たちに支えられながらなんとか形になりました。まだまだ拙いですが、自分たちのできる最高の舞台をお見せしたいと思います。落語ならではの笑いあり涙ありの世界と江戸っ子の心意気を是非ご覧下さい。

【客席からのメッセージ・感想・劇評】

○おかべあつし(岩手県・40代中頃・男)
 落語を演劇で表現する。その挑戦に感動します。物語がいいですよね。人情話の世界観を愛知高校独自のオリジナリティーをもって表現していたと感じました。ただ、欲も出てきます。もっともっとと思う部分があります。たとえば、
・演者の台詞回し、身のこなしを、もっともっと練り上げる
・装置の作りこみを、もっともっとする。特に壁の工夫と橋の工夫、橋の欄干は角ではなく丸がいい なぁ…
といった感じで。多分「高校生が……」という枕詞がつくほめ言葉には、満足できないですよね。もっともっと作りこんで欲しいと思いました。
 落語は一人話芸ですから、登場人物一人一人を、演者が様々な技術を駆使して一人で演じきります。観客の想像力を如何に刺激し表現するかが「芸」だと思います。観客の想像力ですから、観る側の知識も必要となります。「左官の親方」や「吉原の女将」など、江戸の風情を観客の想像力で補うわけです。現代では、古典落語の演者も、観る側に教養を求めるでしょう。本来庶民の楽しみだった落語は、ある意味、学識者への芸術というモノになった部分もあるのではないでしょうか。古典落語の世界にアプローチし、ひとつのオリジナリティをもって楽しい世界観を創り上げている愛知高校演劇部の取り組みに感心します。大いに笑い、そしてほろっとしました。ありがとうございました。

○大和屋かほる(鳥取県・40代前半・男)
 芝居の最大の武器は、お客様の想像力です。この芝居の最大のミスは、音楽でその想像力を止め、音楽で説明してしまったことではないでしょうか。シーンを先取りして、そのシーンは説明する音楽を入れてしまったところもありました。
 この芝居の最大の功績は、こういう題材・素材も高校演劇の対象になるんだということを証明したことではないでしょうか。長く歌舞伎を見てきて、この文七元結も何度も見ましたが(落語も聞きましたが)、どこかで「高校演劇では出来ない」と、何の根拠もないのに自己規制していました。嫉妬しながら見ていました。
 特に長兵衛のおかみさん役の子、とてもよかった。ウソがなかった。
ありがとうございました。

○亀尾佳宏(島根県・30代・男)
 落語の世界を、こんな風に高校演劇として創り直してしまえることに大きな驚きを感じた。幕開きの賭場からいきなり引き込まれてしまった。演技・所作・装置など、時代物を演るには現代劇以上にクリアしなければならない問題点があったのではないかと思う。それを限られた条件の中で見事に表現されていた。橋の欄干などは「もっと……」という意見もあるかもしれないが、私は充分空間を作っていたと思う。吉原のシルエットも美しかった。
 役者は女房、女将、番頭のが達者だった。自分と異なる役をあそこまで演じられることは本当にすばらしい。お久、長兵衛、文七なども役柄とよく合っていたように思う。
 落語だけにどうしても先が読めてしまえるという点もあったが、個人的には素直に物語の世界に没入できた。笑い、ハラハラし、ほっとし、ホロリとする。こんなにも分かり易く、観客の心を刺激するお芝居はすばらしい。古典と演劇が結び付くと、ちょっと小難しいものになってしまうという印象があるが、この作品は立派な娯楽作品として成立していた。楽しい時間をありがとうございました。最後の場面はジーンとした。



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